時には毒にも薬にもならないことを、だらだらと書き連ねてみるのも悪くはないかな?
私にとって『徒然草』という作品は、そのような印象の随筆です。
吉田兼好が世に残したこの『徒然草』は、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並ぶ、日本三大随筆の一つであります。義務教育課程においても、古文の教科書では不動のスタメンであるところの『徒然草』。しかし、私にとっては別の意味で思い出深い作品です。
ところで、一般的な学校教育における中間、期末テストというものは、現文、古文といった文系の科目の方が、点数を取りにくいものです。これは、理数系の科目に比べると、文系科目では明確な解答の出しにくい問題が多い為だと思います。
文中の指示語の対象や漢字の読み書きなどであれば、答えを明確に出すことは可能です。しかし、作者の意向や作品中の登場人物の心情など、論理的整合性に基づいて解答を求められる問題には、普段勉強で得る能力とは全く別の想像力が求められます。
それゆえ、そのような問いに関しては千差万別の解答が生まれることでしょう。
それでは本題に入りましょう。
中学の頃、『徒然草』がテスト範囲になった際、こんな問いが出されました。
問. 吉田兼好が『徒然草』を執筆した理由とはなにか?
答.徒然だったから
……、今でも、完璧な解答であったと確信しています。
(※徒然とは、「やるべきことがなく、手持無沙汰なさま」を指す)