私の毎朝の習慣ですが、両脚を少し広げて立って、身体を感じてみる、体重は足の何処に重心がかかっているか?背骨の状態はどんなだろう、深い呼吸はできるだろうか、両掌を合わせて身体を調整する、掌の合わさった面は身体を真ん中で左右に分ける面と同じはず。静かな時間。整うと気持ちが良い。揃ったまま少し歩くのも更に気持ちが良い。
日常の中で忙しく生きていると自分の姿勢に気づかない、静かな時間を持つとそれを教えてくれる。気付かないままだと歪んだままになる。歪んだ儘が当たり前になるとそれが基準になる、だから慢性的に歪んだ処は鈍りがある。歪んでいることを正しいとしてしまう。そう云う「変質」を感じさせないように「鈍り」が生じるのかもしれない。そうして歪んだまま日常を乗り切っていく。人生にはいろいろあるから、鈍りも人生を乗り切っていくための「身体の知恵」かもしれないとも思う。でもいつかは皺寄せが来る。歪みは身体に無理を強いているから、やがて耐えられなくなるからだ。つまり鈍りの度が過ぎると、本当に身体が壊れる事態になる前に痛みや不具合を感じる時が来る。整体院にやってくる人の大方は、そんな状態のことが多い。