腐ったミカンが箱の中にあると他のミカンが腐るので腐ったミカンは排除しようという論理に対して、
「辛いことがあって、あちこちぶつかっていれば、そりゃどこか腐ってくる。だが私たちはミカンを作ってるのではない、人間を作っているのだ。人間の精神が腐るということ絶対ない」
と教育理論を語る坂本金八(武田鉄矢)。
3年B組金八先生のあまりにも有名な名場面です。
よく勉強会などの集まりに行ったときに、やる気のない人間や場を乱す人間を指して、ああいったのが居ると周りの人のやる気を無くさせるので良くない、と嫌う場面を往々にして目にします。
しかしそういったのを見ながらよく思うのですが、
はたして本当に悪いのは腐ったミカンのほうなのか?です。
何かの目的意識ややる気を持ってして集まる場において、他者の動向一つに影響されて低下したり喪失したりするようなものというのは果たして本当の意味でそもそもに「やる気」なのか?と思うのです。
きちんと意欲のある人間は人のことなど気にせず自身のやるべきことに集中しているものです。
どうしたって出てくる腐ったミカンももちろん良くはありませんが、そのせいで腐っちゃうような他のミカンがあるのならそっちのほうにこそ問題がある気がします。
(`・ω・)