〜推拿はどのように日本に伝わったのか〜
推拿の歴史と私たちが学ぶ意義
筆)すいな健康院 天と地と人 信長正義
1.推拿の歴史を振り返り知ろう!
2.日本に於ける手技(徒手)療法の歴史
3.現代推拿が日本に伝わった歴史的事実とは?
4.筆者と推拿のこれからの関わり
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1.推拿の歴史を振り返り知ろう!
推拿の起源は中国大陸数千年の歴史に遡る。
紀元前1600年~1700年頃の
殷の時代の甲骨文字の記録に
「施術者の手で相手の腹部を撫でる療法」
があったと記載されている。
『中国四千年の歴史』と一口に言うが
記録されているだけでも
それほど古くから行なわれていたのだから
「痛っ!」となってさすって
痛みが緩和するなどを起源とすれば
人類の歴史そのものと言えるかもしれない。
約2000年前に著された現存する最古の医学書
『黄帝内径』に 「按摩」の記載があり
按摩療法による手技は高く評価されていた。
これらのことから漢王朝(紀元前202年〜 220年)の
前漢時代には医学治療体系として
形成されていたとみられる。
「推拿」という言葉が使われるのはもっと後で
明の時代(1368年)以後
「按摩」が多様な目的で行なわれる様になっていたため
医療行為に於ける按摩を小児向けのものを中心に
『推拿』と言うようになった。
(上海から南方では今でも「按摩」「按摩科」と称される)
その後
清(1636年〜1912年)の時代の終わりに
キリスト教普及によって西洋医学が初めて導入され
1900年代中華民国(1912年〜1949年)の時代には
中国伝統医学は西洋医学よりも下級の扱いになる。
しかし
伝統医の開業は禁止されたわけではなく
おそらくは徒弟制度
一子相伝の伝承医学として伝えられ
1943年の医師法の公布により
中国伝統医学は公のものとなった。
中華人民共和国建国以後の文化大革命により
中西医結合の導入、医学教育機関の改正で
現在の中国では公式に
中医学の医療用語、大学で教える学問
大学病院での治療科として『推拿』を採用している。
『推拿用力の原則』である
「持久」「有力」「平均」「柔軟」「浸透」の
手技基本条件が初めて正式に提起されたのは
建国後の1950年代以降のことである。
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2.日本に於ける手技(徒手)療法の歴史
では
何故、日本に「推拿」が療法としてはおろか
言葉としてさえ未だ認知されていないのか?
「按摩」が慰安、目のご不自由な方の職業
としてしか認知されていないのは何故なのか?
そして
中国ではすでに医学である『推拿』を
未だ充分に認知されていない日本で
私たち日本人が学び
この社会に生かすべき意義とは何なのか?
ここまでは中国に於ける『推拿』の歴史を探ってきたが
日本にはどのような経緯で伝わって来たのだろう?
『按摩』は奈良時代
中国では唐時代の遣唐使によって日本に伝わった。
遣唐使の目的は
中国の先進の文化、技術、仏教教典などの収集の他
政治体制や統治システムの習得もあったとされ
医学もその目的にあった。
遣唐使船はおよそ20回に渡り往復し
出発から1年~2年後に帰国を繰り返したが
天候に左右され座礁や転覆などにより
志を遂げられないものも多くいた。
留学生の中には数年留まる人や
生涯帰国せず唐に仕えた人もいたようである。
そのような交流の中
日本最初の本格的な律令である
『大宝律令』(大宝元年・701年制定)を修正して制定された
『養老令』(養老二年・718年制定)の医疾令第二四に
針博士・針師・針生、按摩博士・按摩師・按摩生の
官職が設けられていたと記されている。
これはもちろん唐からの輸入であり
唐王朝では按摩博士という官が按摩を教授していた。
明の時代
つまり中国で推拿という名称が使われるようになった頃
日本では室町時代にも中国に留学する日本人医師がいたが
室町時代の後期1549年にキリスト教が伝わり
安土桃山時代にはオランダの医学『蘭学』が伝来し
『蘭学』と区別するために
中国医学を『漢方』と呼ぶようになる。
江戸時代に入り
1639年に徳川幕府は鎖国政策を開始する。
それにより
オランダからの西洋文明は入るが
中国との交流は途絶えることとなる。
しかし皮肉にも
日本に於いて本格的に『按摩』が広まるのは
江戸時代に入ってからである。
太田晋斎『按腹図解』文政10年(1827年)
などにより体系付けられたのだが
盲人の職業として普及したという背景もあった。
明治維新以降
日本は中国との医事交流を再開するが
明治政府は「漢方」を廃止する。
漢方医の多くは廃業に追い込まれ
鍼灸治療も西洋医師の指示を受けるべき
との取り締まりが実施される。
按摩師の営業にも厳しい取締規制が定められる。
1877年(明治10年)に東京大学医学部設立
1900年代にはフランスから医療マッサージが紹介され
陸軍病院ではマッサージが医療技術に用いられる。
日本に於いてもこのような経緯で
西洋医学一辺倒の導入、発展の中
按摩や鍼灸などは表舞台に立つことはないが
需要があり伝承されていったと思われる。
1945年(昭和20年)終戦を迎え
GHQは「按摩・鍼灸は非科学的であり、不潔だ」として
按摩・鍼灸を禁止しようとしたが
業界や視覚障害者が猛抗議を敢行
その和解案として法律がつくられ
1947年(昭和22年)に
「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師等に関する法律」
が成立して免許制度がスタートした。
この免許制度により日本では
あん摩マッサージ指圧師免許
もしくは医師免許がなければ按摩を職業にできないが
按摩の手技定義が法的に明文化されていないため
医業類似行為においては
『患者に害のある行為だと立証されない限り
「職業選択の自由」の観点から法的に禁止出来ない』
との最高裁判例もあり
各種民間療法は禁止の対象とならない。
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3.現代推拿が日本に伝わった歴史的事実
ここでこの後
現・東京中医学研究所所長の孫維良が登場する。
(手前味噌になるが私、信長正義の推拿の師である)
結論から申すと
現代推拿を日本に伝えた
その一人は孫維良である。
(同時期に上海出身の李強氏は関西で活躍)
前述したように
現代中国に於いては1950年代以降
『推拿』が伝統中国医学と西洋医学の
優れたところを結合(中西医結合)して発展し始めた。
その最中1954年
中国天津市で孫維良は誕生した。
中華人民共和国で1966年から1976年まで続き
1977年に終結宣言がなされた文化大革命の最中
1970年代に入った孫維良17歳の頃
国の政策に従い推拿士になることを選び
故・胡周章老師に弟子入り
天津中医学院
(1958年創立、2006年に天津中医薬大学に改称)
に所属し推拿の道を邁進する。
伝承手技療法の大家の元で
昔ながらの徒弟制で受け継ぎ
進化する西洋医学を取り入れ
学術体系化される中医学や伝承手技を
大学教育体系化される過程で
『推拿』を学び実践してきた。
ここに歴史的事実として
伝承医学、伝承手技療法『推拿』を
徒弟制度で受け継いだ
数少ない最後の世代の一人が孫維良である。
その後
天津中医学院第一附属病院
(現•天津中医薬大学第一附属病院)
にて、連日連夜多数の臨床経験を積んだ。
そして
日本の内科医で
当時中国への留学生でもあった
故・永谷義文医師との縁で1987年に来日。
(田中角栄総理在任当時
日中国交正常化により文化交流が活発だった)
当時
日本へ渡れる中国人はまだ稀であった時代だったが
来日後は永谷義文医師の医院にて
本場の推拿施術を始める。
戦後というか有史以来初めて
日本で現代推拿を施した推拿医師である。
このような歴史を知った上で
伝承推拿の生き証人である
孫維良氏が存命しておられ(2022年4月現在)
日本に於いて施術や指導を実施
直接それらに触れる機会があることに
多大なる価値を感じる。
遣唐使の時代であれば文字通り命懸け
行くも地獄、帰るも地獄の荒波を超えての交流であった。
文化の伝承・交流は
容易く得られるものではない。
孫維良氏は
当時の中国の政治体制内で活動する中
自由と自己実現のために
「泳いででも日本に来たかった」
と言う。
日本人留学生(故・永谷医師)との縁で
好運にも来日が実現したことは
当時の彼にとっては
実に個人的な欲求であっただろうと
筆者は理解している。
ただ
伝統中国医学であり
現代医学として進化し続ける文化
推拿が日本に渡った歴史的事実で
非常に価値の高い現実になった。
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4.筆者と推拿のこれからの関わり
筆者が孫維良氏と出逢い
推拿の門を叩くことになったのは
1999年のことだ。
ふとした縁で知り合いとなり
臨床中医推拿塾の第2期に入り
その後、日本人初の内弟子になった。
その当時は
孫維良氏がどれほどの人物か?
推拿がどの様なもので
どれほど価値があるかなど
知る由もなかった。
ただただ
自己の成長と
独立の夢に向かって
無我夢中で飛び込んだに過ぎず
自分の事しか考えになかった。
しかし
2006年に独立後
自分が一対一で施術を提供する以上に
世の中に貢献できないことに
疑問を感じ始め
2012年1月
父を亡くしたのを機に本格的に
推拿の技術継承に目を向け始めた。
2014年に推拿の日本普及を夢見て
2018年まで孫氏と活動を共にするが
あはき師団体や医療界に
日本人の推拿施術者として参入する困難さや
孫氏を下支えしながらの共同活動に
残念ながら行き詰まりを感じ
2019年に再び独立の道を選んだ。
未だ遙かに無力を感じる日々だが
推拿の真髄を学び実践する中で
皆様への橋渡しのお役が
少しでも出来ればと
僭越ながら心に留める次第である。 2022年4月改稿
©️日本伝統手技継承研究所
すいな健康院 天と地と人 信長正義
《参考資料》
実用推拿療法 孫維良著 エンタプライズ社
中医推拿手技学 陳堅鷹編著 杉山書店
Wikipedia