私の住んでいる町がまだ村だった頃
私が会ったことのない曽祖父(彦吉)と
私の記憶にあまりない曽祖母(はる)が
二人で西国巡りをしていた事を
父が見つけた二人の御朱印帳で
初めて知ることになる
奇しくも私自身が今
尾張の西国巡りの真っ最中だ
紙魚(シミ)に齧られ
紙もボロボロになってきているので
保管方法を考えあまり開封しないように
氣をつけることにする
よもやこの朱印帳もキッチン用品の
ジップロックとやらに真空で入れられるとは
思いもよらんかったろう
教えて頂いた話によると
朱印帳は本人が亡くなった時に
棺に納めるのだそうで
すっかり二人とも入れ損じている為
おじいちゃんっ子だったという父(康彦)に
「父ちゃんが逝く時に棺に入れて持ってってあげなよ」
と不謹慎ながら言ってみたが
「そんなもんいらん
俺の時は競馬新聞入れてくれ」
と返され
「それから出棺の時はクラクションじゃなしに
G1のファンファーレで送ってくれ」
というリクエスト付きだった
流石康彦だ
冗談と思う人がいるといけないが
康彦は親二人の葬式も、私の姉の結婚式も
隙をみて競馬をやっている筋金入りである
あぁそうだ
この人に情緒という二文字は無いんだったっけ
しかし
この古い仏壇から突如出土した御朱印帳には
私はロマンやら情緒を感じている
一枚目の写真
右二つのは彦吉とはるが
昭和十二年十二月に訪れた清水寺の朱印
左側が私が
平成三十一年一月に訪れた同じ寺の朱印
七十七年の間を経て先祖が同じ場所にいたのかと思うと
何となくうれしみずである
二枚目の写真右二つは曾祖父母
左は私が初めて手にした朱印帳
なんだか並べて記録しておきたくなった
果たして誰が天国まで持っていくかは
謎のままだがそんな事は正直
色即是空空即是色ってやつなのだろう
今日の結論は
紙魚(シミ)という虫は
ただただ氣味が悪いということだ
#寺#仏教#朱印帳#先祖