<羽衣天女>
昔、松原で猟師が釣りをしていると、松の木にとても綺麗な布がかかっているのを見つけました。
持ち帰ろうとすると、天女が現れ、布を返して下さい、それがないと天に帰れません。と伝えます。
猟師は、布を返す替わりに舞を踊ってほしいと頼みます。
返すと、綺麗な舞とともに天女は天に帰っていきました。
という伝説があります。
丹後に伝わる伝説は少し違っています。
日本最古の羽衣天女の発祥地である“磯砂山”
丹後の国の狩人の三右衛門が磯砂山に狩りにでかけた時のこと。
どこからともなく良い香りと音楽が聞こえてきます。
その香りと音のほうに行ってみると、美しい八人の天女が水浴びをしていました。
三右衛門は、天女の羽衣を一枚かかえ家に帰って隠しました。
返してほしいと天女が頼みましたが、返してくれません。
そして天女は三右衛門の妻になり、三人の娘もでき、暮らしていましたが、ある日、天女は羽衣の隠し場所を見つけ、そして羽衣を着ると、空に帰っていきました。
山頂には天女のモニュメント、中腹には天女が水浴びしたとされる女池があり、麓にある乙女神社は、お参りすると美しい娘が授かると言われています。
<細川ガラシャ>
細川忠興に嫁いだ明智光秀の三女、玉子は二児に恵まれ平穏に暮らしていました。
しかし本能寺の変で、父である明智光秀が織田信長を討って、自らも滅んでしまいます。
玉子は逆臣の娘となり、水土野の地に幽閉されました。
この時に従った侍女の影響で、キリスト教に救いを求めるようになりました。
のちに、洗礼を受けて“ガラシャ”の名を授かりました。
その後、忠興は徳川家康に従い、上杉征伐に出陣するのをみて、細川ガラシャを人質にとろうとします。
しかし、夫の足手まといになりたくないと、細川ガラシャは自ら命をたちました。
<安寿姫>
“安寿と厨子王”という童話に出てくる悲劇の姉弟のお話だそうです。
領主である安寿と厨子王の父は、平将門の乱に荷担したと疑われ筑紫の国に追放されてしまいました。
安寿と厨子王は父を慕い、父のもとに向かいますが、途中で人買いに騙され、丹後の山椒大夫に売り飛ばされてしまいます。
山椒大夫の目を盗んで、何とか弟だけ逃がすことができました。
しかし、それが山椒大夫に見つかり、安寿を攻め続けます。
それに耐え切れず、池に身を投げてしまいます。
その後、逃げることができた厨子王は、丹後王主になり、山椒大夫を成敗したそうです。
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