中学時代Vol.2
持病の喘息も良くなり、水泳部の練習に精を出し、タイムも伸びてきて、来年の大会を楽しみにして陸トレも頑張っていた10月の初めことでした。
突然、母から東京に引っ越すからと言われたのです。生まれてからずっと暮らして来た湘南辻堂を離れて、東京に行くだなんて、絶対に嫌でした。
弟と話しても不安でならない、友達に相談しても、何で?何で?と晴天の霹靂でした。
しかし、いくら弟と二人で東京には行きたくない、と訴えても聞き入れて貰えず、泣く泣く辻堂に別れを告げたのでした。
そして東京に
今では、話の語尾に”ジャン””ダベ” など東京でも良く使う言葉になりましたが、当時は東京のクラスメイトは誰も知らない言葉で、ドン引きされました。
そして転校1日目から(イナ)というあだ名がついてしまいました。
この意味は何と、田舎っぺのイナということで、この不名誉なあだ名は1年間続きました。
そして、もう一つショックなことがありました。
辻堂で頑張った水泳を、転校先でも頑張ろうとしていたのですが、なんとその中学には水泳部がなかったのです。
更に大きな不幸が襲ってきました。
翌年の12月に、闘病していた父が他界したのです。
その後母から伝えられたことは、父は末期癌でしたが、仕事人間だったので、せめて最後まで仕事をさせてあげたい、その為に東京の父の会社のそばに引っ越して、少しでも楽に通勤させてあげたかったとのことでした。
病名を私たち子供に告げたら、いつポロッと口が滑ってしまうかもと思い、言わなかったそうです。
父は、長男の私には特に厳しく、よく拳骨を食らいましたが、どんなに叱られても私は父が大好きで、永遠のヒーローでした。
私の胸の中にはぽっかりと穴が開き、悲しくて悲しくて死んでしまいたいとまで思い詰めました。