私には人生の糧となる素晴らしい先生がいる。
そのうちの一人は、
小学生の頃に始めた華道の先生だ。
素晴らしい先生というのは、
教え方についてはもちろんだが、
その、ひととなりが最も重要だと私は思う。
人のプライベートに介入することなく、
境界をわきまえ、
先生と生徒という関係であるが、
一人の人間として
年齢を問わず礼儀を持って接してくれる。
人を生かす人。
子供の頃から先生というのは
そういう姿勢であることが当たり前だと言うことが
その先生の仕草や背中、言葉から自分には浸透していた。
子供の私には先生は魔法使い。
私が、先生できました!と言って手を挙げる。
緊張の時間
私の花を暫く静かに観て
何も言わずに残った一枝、一花を
ちょんと手に取り、花切狭で整え
そっと私の作品に加える
すると私の作品が立体に広がり完成される。。。
んーーーーあーー!!もう!!!!!
くやしいーーー\(>o<)ノ!!!
それが毎週のお稽古で積み重ねられ
いつか先生が見惚れる、
先生が手を加えるところのない花を生けれるようにと思っていた。
何年も何年も稽古をし
気づいたら
師範の上まで進んでいた。
私が一旦お稽古から身を引くことにしたとき先生が私に
あなたが私の一番弟子。
そう言ってくださった。
花を生かす
生花とはそういう意味だろう。
それができて初めて華道に繋がる。
華の道を進む先生は
私の人生にとってかけがえのない先生の一人だ。
中学生になる前だっただろうか、
あなたが最年少の出展者よ、と初参加した華道展でのこと、
先生という存在皆が、私の先生のようではないと知ったのは衝撃だった。
私の隣のブースで生けていた生徒さんのところに
その生徒さんの先生なる人がやってきて、
私の隣でその生徒さんに罵声を浴びせ始めた、
その生徒さんの作品を一気に引き抜いて、なんとその先生が生け始めたのだ。
子供ながらに
花を殺し、生徒をも殺す
そんな先生がいることも知った。
私の先生は1人で
他の先生とつるむこともなかった。
私生活も一人、
けどきちんとしていることは立ち居振る舞いや言葉の選び方から滲み出ていた。
ただ一人コツコツと
何も多くを語らず、少しの言葉で奥行きのある人だった。
ひととなりを見つめ自分に落とし込む
それも先生がしてくれた稽古だろう
その姿勢全てで教えてくださる方だった。
人の出会いとは大切なものだ。
上っ面で良い顔していても
そうではない人はあちこちでボロが出る。
人それぞれの才能に
嫉妬に狂い
自分の本来進むべき道に邁進することを怠り
人を陥れることばかりにエネルギーを費やしている人もいる。
そういうエネルギーというのは、
結果自分に返り自らを苦しめる。
そしてそれは周りに気づかれるものだ。
私の仕事はクライアントさんの身体を整えることだ
それは花を生かすのと同じで
人を生かすこと
クライアントさんがおかしなもの纏ってきたら嫌でも気づく。
これは……だね。と
口から出た言葉は戻らない
出せば出すほどボロが出る。
そして、すごいタイミングで
知ってる人が来たんだよね笑
久しぶりにいらしたクライアントさんから
話してこられた
嫉妬とか恨みってわかりますよね。と。
世の中は狭いね
そして他人にまで気づかれている笑
色んな人がいる、
毎日勉強です。
おすすめコース