皆様、こんにちは!
今日は桃の節句!女の子の日ですね。お雛様は出されましたか?
テレビで見ましたが日本一長い段数の118段の雛段飾りが東伊豆にあるそうです。118段は圧巻ですよね。一度は見に行きたいと思いました。
今回は、桃の節句に雛壇を飾るようになった由来を調べてみました。
女のお子さんのいる家では雛祭りには雛人形を飾るのが当たり前になっていますが、どうして「桃の節句」には雛人形を飾るようになったのでしょうか。
中国が起源といわれる「上巳の節句」には、水に入って禊をして厄を祓うという風習がありました。
これが、草木や藁、紙などで作った人形(ひとがた)に穢れや災いを移して川や海に流すという日本の風習と融合。それがいつしか「流し雛」と呼ばれる厄払いの行事として人々の間で浸透していきました。
そしてもうひとつ、雛人形の由来といわれているのが「ひいな遊び」です。平安時代の貴族の子女が楽しんだ人形遊びで、最初は紙や布で作られた素朴な人形が使用されていました。それが時代の移り変わりとともに華やかで立派な人形になり、遊び道具から飾って楽しむものへと変化していきます。
江戸時代になると庶民の間にも雛祭りの風習が広がり、雛人形を飾り立てて持ち寄り自慢しあう「ひいな合わせ」や、駕籠に雛人形と草餅、白酒などをのせて親類を回って振舞う「ひなの使い」も盛んに行われるようになりました。
こうした雛祭りの原点ともいわれる厄払いの「流し雛」の風習と、貴族の子女たちが行っていた「雛遊び(ひいなあそび)」とが合わさり、やがて雛人形は女の子の厄除けの守り雛として飾られるようになったようです。